2024年6月19日水曜日

寄り合いと会議

 日本には民主主義の歴史がなく、民主主義は15年戦争の敗戦後に米国が日本に導入させたという解釈がある。民主主義の最低条件は、①主権を国民が有する、②主権者による自由選挙が行われる、③自由選挙は公正に行われる、④主権者による自由選挙で選出された人々が国権の最高機関である議会を形成するーだろう。

 15年戦争の敗戦前の日本では、主権は国民になく、自由選挙は損なわれ、軍部独裁体制に迎合する人々が選出される選挙システムとなり、言論や出版、集会など個人の自由は大きく制約された。敗戦前の日本で軍部独裁体制が確立する以前には自由選挙が行われていたが、主権が国民になかったので民主主義の政体とはみなされない。

 だが、人々は支配されるだけの対象だったわけではない。国権に関わる事柄は中央政府が決め、人々はそれに従うことを余儀なくされたが、地域の共同体における課題は人々が集まって話し合っていたところもあった。誰かに決めてもらって皆がそれに従うというのではなく、皆が納得するまで話し合うという仕組みは民主主義の原型とも見える。

 宮本常一氏の『忘れられた日本人』(岩波文庫)所収の「対馬にて」に、そうした民主主義の原型をうかがうことができる。当該個所の概略を紹介する。

・村の寄り合いがあり、森の中に人が集まっていた。次の日も寄り合いは続き、数人ずつ固まって話し合っていた。村で取り決めを行う場合には、皆の納得のいくように何日でも話し合う。

・初めに区長からの話を聞き、地域組が話し合った結論を区長のところに持って行くが、折り合いがつかなければ、また自分のグループに戻って話し合う。用事のある者は帰ることもあり、言うことがなくなれば帰ってもいい。

・議題に縛られずに参加者は自由に話すので容易に結論は出ないが、皆が思い思いのことを言ったあとで、話は次第に展開し、さらに話し合った後で老人や区長が結論をまとめ、皆が了承する。

・この寄り合い方式は古くからの歴史があり、村の申し合わせ記録の古いものは二百年近い前のものもあり、それ以前からも寄り合いはあったはずである。古老の記憶では、三日でたいていの難しい話もかたがついた。気の長い話だが、無理はせず、皆が納得のいくまで話し合った。結論が出るとキチンと守らねばならなかった。

・少なくとも京都、大阪から西の村々には、こうした村寄り合いが古くから行われており、そういう会合では郷士も百姓も区別はなかったようだ。反対の意見が出ても賛成の意見が出てもそのままにしておき、皆が考え、最後に最高責任者に決を取らせる。

 宮本氏が記録した寄り合いの事例が日本全国で行われていたかどうかは不明だが、共同体の成員が意見を交わして決めるという仕組みは共同体を維持するために有効かつ必要だっただろう。皆で納得のいくまで話し合うという地域における歴史があったから、日本で民主主義が大きな抵抗なく受け入れられたとも見ることもできよう。

 こうした村寄り合いは、効率を重視して長い会議を問題視し、会議をスピーディーな意思決定の場にしようという発想とは逆方向のものだ。だが、皆が自由に話し、時間をかけて皆が納得する結論に達するという仕組みは、共同体の結束を強固にするものだっただろう。社員が入れ替わる企業などで効率重視の会議が持てはやされるのは、利益や売り上げにつながらない共同体の結束は重視されないからだろう。

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