2024年6月22日土曜日

横断歩道の毛虫

 郊外の割と交通量が多い片側1車線の道路で友人は、横断歩道の端のほうに長さ6〜7cmの細長い黒い毛虫を見た。樹木の多い公園側から、ゆっくりゆっくりと横断歩道を渡り始めた毛虫は、信号が変わって発進する車両に気づいたのか風圧に耐えるためか、動きを止めたが、車両が途切れるとまた動き始めたという。

 交通量が多い道路を横断しているという状況を「毛虫がどう認識していたのか見当もつかないが、あのままでは毛虫はいずれ車両に轢かれる。次に何が起きるのかを知らず、あの毛虫は身の破滅に向かって進んで行った」とし、「あの毛虫と人間は同じだ。次に何が起きるのかを知らずに毎日を生きている」と友人。

 毛虫が認識すべきだったのは、①その道路は交通量が多い、②車両に轢かれると潰される、③車両が止まっているのは前方の信号が赤の時だけ、④自身が道路を横断するには時間がかかりすぎるーだ。これらは人間なら学習によって得ることができる認識だ。毛虫の学習能力がどのくらいなのか詳らかでないが、おそらく毛虫は道路交通に関して学習することはできないだろう。

 予測可能な死に向かって進むことを毛虫が続けたのは、置かれている状況を理解せず、次に起こり得るであろうことを知らず、死の概念を持たず、捕食者以外に対する危険予知ができなかったからだ。この世界は道路交通など人間が構築したシステムで動いているが、それは毛虫には理解が及ばないことだろう。つまり、道路を横断しようとして轢かれて死ぬのは、毛虫にはどうすることもできないことだった。

 信仰を持たないが宗教には関心があるという友人は「あの毛虫を見てたら、神が人間を見ているような気分になった。状況を正しく理解せず、死や破滅に向かって進んで行く人間を神はきっと傍観するだけだろう。神が存在するとすれば、そう考えるしかない」とし、「人類が破滅に向かっているとは思わないが、死や破滅に突き進む人々は世界に数限りなくいる」。

 道路を横断する毛虫が轢かれて死ぬように、自身に予測できなかった現実は受け入れるしかない。どうにもできないことを受け入れるには運命という考えが便利だが、そうした現実肯定は無力さや判断力とか行動力の欠如などと結びついている。世界で宗教が現在も大きな影響力を持っているのは「あの毛虫と同様に、どうにもできない現実に翻弄される人々が多く存在して、何らかの解釈を求めているからだろう」と友人。

 予測可能な状況であっても、毛虫のように予測できないなら不幸な結果は自分の身に降りかかってくる。予測できないのは自己責任だともいえるが、人間の予測能力には限界があり、何が起きるか、誰もが正しく認識できるわけではない。「死が確実だと知らずに、せっせと前に進む毛虫の生き方は人間を含む生物の実相だな」と言って友人は深いため息をついた。

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