大統領選を控え民主党候補になるとみられるバイデン氏と共和党候補になるとみられるトランプ氏の公開テレビ討論が行われ、報道によると、バイデン氏は声がかすれ、何度も言い間違えたり口ごもり、うつろな表情で高齢不安を払拭できず、トランプ氏は司会者の質問に答えずに根拠のない自説を述べたり、不規則発言が多かったという。政策をめぐっての議論は深まらなかったそうだ。
世界最大の経済力と軍事力を有する米国の指導者を選ぶ選挙で、4年の任期を全うできるのか不安がある人物と、自分勝手で何をするか分からない人物のどちらを選ぶのかと問われて、返答に困る人は多いだろう。毒蛇か肉食獣のどちらかと一緒にベッドに入れと言われたなら、両方とも嫌だと拒否するのが正解だろうが、選挙において両方とも嫌だとすると棄権するしかない。
主権者が自由投票により、国家権力の行使に関与する議員や行政の長を選出するという民主主義は、能力・見識があり信頼できる有能な人物を選挙で選び出すことで立派に機能する。だが、選挙に立候補した候補者が、精神的に詐欺師やコソ泥ばかりで、当選したならばガッチリ儲けようと狙っている連中だとしたら、主権者がどの候補者を選出しようと、民主主義による政治は混迷するばかりだろう。
また、当選して「名誉」ある地位につくことだけが目的だったり、権力を握ることだけが目的だったりする人物や国政に関与するには無能というしかない人物、偏狭な主張にとらわれて異論を排除することに熱心な人物らが候補者として並ぶと、どの候補者に投票しようと主権者は機能不全の民主主義から逃れることはできない。
主権者の自由投票により成立する民主主義が機能するには、全ての候補者の「質」を一定水準以上に保つことが必要だと考えられるが、誰もが立候補できることも民主主義には必要な条件だ(イランの大統領選のように候補者の事前審査を行うと、審査する側にとって不都合な人物は排除される。日本のように高い供託金を設定すれば、金持ちしか立候補できない)。
全ての問題を解決する正義のスーパーマンは存在しないと思えば、さまざまな立候補者の中から、少しでもマシな人物を見分けて投票するしかなく、公約などを見比べて検討することになる。だが、公約は票集めのためのキャッチコピーに過ぎないとすると、主権者は何を根拠に候補者を選択すればよいのか曖昧になり、少しでもマシとは何かを考えることになる。
民主主義を支える自由選挙が変質し、トンデモ候補者が跋扈して部外者からは「お笑い」選挙のように見えたりするのは米国の選挙だけではなく、日本の選挙でも珍しい光景ではなくなった。だがね、主権者が国家や自治体の政治の方向を決めるという民主主義は、主権者が真摯に自由投票に臨むことで健全さが保たれる。お笑い選挙の結果として、お笑い権力者やお笑い行政が誕生すると、いつまで主権者は笑っていられるのか誰にも分からない。
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