2017年1月14日土曜日

ポピュリズムに支配された韓国

 米大統領選でのトランプ氏の勝利や、英の国民投票でEU離脱が決まったことなどはポピュリズムの勝利と見なされ、欧米で移民排斥など不寛容が勢いを増すことへの危惧が喚起された。リベラルな価値観が主流とされる社会で、人々が内包していた不満や感情などが可視化されたので、困惑しているようにも見える。

 ポピュリズムという言葉は、肯定的にも否定的にも使われる。理性よりも感情、情緒に訴えて政治家が大衆を動かすという意味では大衆迎合主義だとされ、衆愚政治につながりかねないと否定的だ。人々の権利こそ尊重されるべきだとし、民衆の意思を政治に素直に反映させるという意味では民衆主義とか人民主義と肯定的になる。

 現在はリベラルなマスコミなどが、意に添わない政治家や政治状況を批判する時にポピュリズムというレッテルを貼り、否定的なイメージで使うことが多いが、ポピュリズムの根本的な危険性は、情緒を刺激された人々が暴走を始めて政治の側が制御できなくなることにある。例えば、韓国。

 政治家やマスコミに煽られた人々が直接行動を繰り返して政治的な圧力に育つと、政治家は人々の顔色をうかがって右往左往するようになり、政党は離合集散を始め、議会は選挙に向けたパフォーマンスの場に化し、代議制が損なわれる。政府は機能せず、強くなった人々の「民意」に媚びつつ煽る政治家が注目されたりする。

 ポピュリズムに支配された社会では政治の方向性が、強くなった人々の「民意」の風向きによって揺り動き、法に基づく支配は軽んじられるようになる。不安定な「民意」に基づく支配とは、社会の規範が不明瞭になることである。

 韓国では、国内法に抵触して公道に設置された少女像を行政は放置し、国際条約も軽んじられ、他国と締約したことも実行しない。暴走を始めた「民意」が立ちはだかって、政治は無力である。煽られた人々の高揚感だけが輝くポピュリズムに支配された社会とは、民主主義の実践ではなく、民主主義が情緒に浸食された姿を示している。

 日本語で読むことができる韓国メディアのサイトを見る限り、理性を感じさせる論調は乏しいが、被害者感情で自己正当化しつつ日本を批判してみせる記事は珍しくなく、人々にこびる姿を見せている。ポピュリズムに支配される社会とは、政治やメディアも含め人々が迎合しあう社会であるようだ。

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