2019年8月3日土曜日

見せかけの芸能プロ批判

 芸能プロダクションに対する批判はマスコミではタブーだった。批判された芸能プロが所属タレントの出演を制限して仕返しするとされた。テレビ局には自社番組があり、新聞社はテレビ局と関係が深く、出版社には多くの刊行物がある。

 最近は芸能プロに対する批判がマスコミにあふれているように見えるが、実態は①公取委など官庁による発表、②造反したタレントの芸能プロ批判、を伝えているだけだ。造反したタレントが何を話しても芸能プロが強い態度を維持していればマスコミは沈黙しただろうが、芸能プロ側がスキを見せればマスコミは騒ぎ立てる。

 マスコミは芸能プロを直接、批判しない。Aに対するBの批判を増幅して伝えることでマスコミ自身がAを批判しているように見えるだけだ。そうした批判がマスコミに現れることは芸能プロの影響力の衰退とも見えるが、皆がそろって批判しているから批判できているだけで、どこのマスコミも単独ではおとなしくなるだろう。

 芸能プロに造反した芸能人が干されることは以前から珍しいことではなかった。それは、テレビ局や出版社、映画会社、新聞社などが芸能プロの意向に従うことで実現してきた。芸能プロ批判を真剣に行うと、芸能人を干すことの片棒を担いで来たマスコミにも火の粉が降りかかる。だから、芸能プロへの直接の批判は避ける。

 マスコミは騒ぎが起きることを歓迎する。自身の利害に関係がなく、悪玉がはっきりし、容赦なく批判できるような状況はマスコミにとって大歓迎だ。米トランプ大統領や北朝鮮などのように頻繁にネタを提供してくれ、批判や嘲笑の対象にもなる対象はマスコミにとって好都合な存在だ。

 芸能プロが騒ぎを起こしてくれることはマスコミには好都合だ。人気タレントが絡む騒動は人々の関心が高く、ほじくればネタはボコボコ出てくるだろうし、造反したタレントを「ヒーロー」かつ「被害者」に仕立てて報じれば同情を集めることもできるし、造反したタレントが干されたなら、人々とともにマスコミも忘れてしまえばいい。

 変化する時代に素早く適応することができず、既得権益にしがみついていることでは芸能プロもマスコミも似ている。芸能プロの体質を変えるには、フリーとなったタレントが自由に活動できる環境をつくるしかない。個人の権利がもっと尊重され、個人がもっと自由に活動できる世界に芸能界が変わることは日本の社会にも影響を与えよう。マスコミの役割はそこにある。

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