2018年10月6日土曜日

読者に媚びる

 雑誌「新潮45」が休刊となった。新潮社は「お知らせ」で「部数低迷に直面し、試行錯誤の過程において編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになって」いて「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現を掲載」したことをお詫びし、「十分な編集体制を整備しないまま刊行を続けてきたことに対して、深い反省の思いを込め」て休刊を決断したとする。

 同誌は大幅な部数の落ち込みで、右寄りの保守系雑誌(売れているのだろう)に追随する方向に編集方針を転換したと見られている。それで販売部数が上向いたかどうかは定かではないが、二番煎じで「当てる」のは簡単ではない。右寄り層の注目を集めるために過激になったとも見られるが、それも定かではない。

 新潮社の「お知らせ」では、「企画の吟味や原稿チェックがおろそか」だと同誌の編集部を批判するが、「不十分な編集体制だった」と出版社の責任も認めた。どうやら共同責任ということで幕引きになりそうだ。説明責任を問い、客観的な検証を要求することは告発記事に欠かせないが、自社に関して沈黙する出版社は珍しくない。

 右寄りに誌面を変え、朝日新聞や既存リベラル、野党を批判し、嫌韓・嫌中や自民支持などの記事を必ず掲載すれば販売部数が増える……なら編集者は気楽な稼業なのだが、そんな後追いで売れるほど甘くない。編集者には時代の半歩先、1歩先を見通すカンが必要だが、販売部数という目先の結果だけを求められると編集現場は疲弊する。

 とはいえ、売れなければ雑誌の発行を続けることは困難だから、販売部数の増加を目指すことは当然で、売れている雑誌などの企画に「ヒントを得る」ことは珍しくない。だが、ただの二番煎じと見破られないように編集者は、切り口や視点を変えたり、新しい書き手を発掘したり、工夫するものだ。

 「新聞は読者に媚びるものだ」とは山本夏彦氏の言葉だったか。販売部数を増やすために読者に媚びるのは雑誌も同じだ。テレビが視聴者に媚び、ネット媒体がページビューを増やすために閲覧者に媚びるのは、広告を増やすためだろう。

 「新潮45」が右寄り保守系雑誌に衣替えして部数が伸びていたなら、出版社は、編集長の交代で責任を取らせる一方で雑誌の発行は続けただろう。右寄り保守層の読者に媚びてはみたものの、競合誌から読者を奪うほどの誌面をつくることができなかったのが「新潮45」の敗因だ。つまり、媚びるだけでは読者が面白がる雑誌はできないということ。

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