2019年1月26日土曜日

パワースポットと事実

 パワースポットとされる場所がある。その場所で何かを感じた人がいたから、特別な場所とされたのだろうが、何かとは霊的なものであるらしく、誰もが必ず何かを感じるものでもないようだ。パワースポットだとありがたがる人には、それらしく錯覚もできるから、人気になって訪れる人が増えたりする。

 パワーとは何か、そのパワーがその場所に存在するのは本当か、客観的な定義も検証もなされていない。パワーもスポットも主観的なものであるから、人によって解釈は様々で、パワースポットとされる場所が増殖する。「ここはパワースポットだ」と誰かが断言すれば、パワースポットが新たに誕生する。

 各地のパワースポットがテレビなどで紹介されることがある。といっても、そこに何かのパワーがあることを確認して紹介するのではなく、「パワースポットとして知られている」などと名所案内のように紹介する。「パワースポットとして知られている」ことの真偽は検証できるが、そこに何かのパワーがあるとの検証は困難だろう。

 「パワースポットとして知られている」ことを確認すればテレビなどは、「知られている」という事実を担保したことになる。ある場所がパワーがあるスポットであるかどうかは別の問題とみなし、パワースポットなんて胡散臭いと見ていたとしても、名所案内的に報じることができる。

 そこが「パワースポットとして知られている」事実と、そこがパワーがあるスポットであるという事実は大きく異なる。だが、テレビなどが報じることを人々は事実だと受け止めがちで、テレビなどが伝えることで、例えば、どこかの場所がパワースポットであるとうっかり信じたりする。

 同じような伝え方はテレビや新聞では珍しくない。例えばニュースで、ある人物の発言や外国の報道機関の記事を紹介することは多いが、その発言や記事が存在した事実だけが確かだったりする。その発言や記事の内容の真偽を確かめているわけではなく、一方的な主張や偏った記事などが紹介されたりする。

 このように真偽が入り混じっていると、受け手は騙されやすい。本当のパワースポットであるかどうかは、嘘っぱちだったとしても実害がないだろうが、テレビや新聞のニュースに、部分的な事実の確認だけのものが混じっても人々は気がつきにくいだろう。

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