時間とは、過去から現在を経て未来へと流れるような何かだというのが一般的な解釈だろう。さらに、床に落ちて割れたコップは元の形状に戻らず、燃えた紙片は復活せず、昨日が繰り返されないように、時間は巻き戻すことができないものだとも解釈されている。
映画やSFなどでは、人間が過去や未来に行き来できたり、過去や未来が同時に存在したりする。現在以外に過去も未来も同時に存在すると、割れたコップと割れていないコップ、燃えた紙片と燃えていない紙片が同時に存在することになり、空間が「現在」のものだけなら、その空間にはモノが溢れるだろう。過去や未来が同時に存在するなら、それぞれの空間が必要かもしれない。
しかし、「現在」の空間と別に過去や未来の空間があるとすれば、人間も空間ごとに存在するから、「現在」の空間にいる人間が過去や未来の空間に同時には存在できないだろう。過去や未来が同時に存在しても、人間だけが「現在」のままでは過去や未来の空間を認識するには特別な能力が必要かもしれない。
空間が「現在」のものだけで、そこに過去や未来が部分的に存在しても、それを人間が識別することはできまい。人間は過去を記憶するが、未来については知らない。だから、過去や未来が同時に存在する空間で、割れたコップが存在しても、それが過去に起きたことか現在起きたことか未来に起きることか判断できない。
人間は過去を記憶する。過去は人間の記憶に蓄積されるともいえるが、記憶や記録があるから人間は過去を認識できる。記憶や記録が存在しなければ人間にとって時間とは現在だけになるかもしれない。現在だけになると、時間の概念は全く異なったものになるだろう。
時間は実在するのだろうか、それとも人間の意識の中だけにあるものなのか。楽しい時間は早く過ぎ、退屈な時間はゆっくり過ぎたりするので、時間は人間の意識の中にあるようにも見えるが、1秒1分1時間の長さが伸び縮みしているわけではない。
宇宙はビッグバンから始まったなどと言われ、それは138億年前とされる。長くても百年前後の時間を生きる人間にとって億年という時間は想像を絶し、永遠と実質的には同義だ。太陽が「寿命」を迎える50億年ほど先に地球上には生物は生存できなくなるとされるが、それも人間にとって永遠と同義だろう。永遠が実在することは確からしい。
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