大統領になって思うままに権力を振り回しているのが米トランプ大統領だ。米国内にとどまらず国際的にも数々の波紋を広げるなど影響力は大きく、連日のSNSでのコメントが国内外で大きく報じられるようになった。思いつきの発言が大きく報じられる様子をトランプ氏はおそらく楽しんでみている。権力者は自分が重要人物であるとの自覚を持つだろうし、注目されていることが自尊心を満たすだろう。
トランプ氏を見て、自分も権力者になって思うように自国や世界を変えたいと夢想する人がいるかもしれない。自由・平等・博愛・民主主義など普遍的とされる価値観を無視することは容易だとトランプ氏は示し、権力を握ることの魅力を発信している。普遍的とされる価値観を実現・定着させるためにも権力が必要であり、「世界を変える」には権力を握るしかないと人々は考える。
そうした「権力への意思」が歴史をつくってきたと説くのが佐伯啓思氏だ(「神なき時代の『終末論』」。適時省略あり)。
「自由、平等、博愛といったフランス革命の精神こそが隠された『権力への意思』だと見たのはニーチェであった。近代社会の平等思想こそ奴隷革命の産物であり、支配者から支配権を奪い取るという『権力への意思』がそこにある。それこそは弱者のルサンチマンの産物だとニーチェは述べた」。
「抑圧され、支配されてきたと感じる者たちの、強者や支配者や時には金持ちに向けたどうにもならない反感、しかも、ある劣等感と嫉妬と屈辱感がないまぜになった反感が鬱積してゆく。この負の感情がルサンチマンとなり、自らが支配者になりたいという欲望をたきつけ、近代革命を起こした。批判主義もこの近代革命の延長線上にある。それゆえ、リベラルな価値も『権力への意思』にほかならない」
「近代のリベラルな価値とはキリスト教道徳の変形である。その背後にはキリスト教が隠されているとニーチェはいう。キリスト教道徳こそは、神という絶対の『主人』に服従する『奴隷』としての人間が自己満足的に生みだした奴隷道徳だという」「もしニーチェやフーコーが言うように、自由や平等が、奴隷として支配されてきた弱者のルサンチマンを言い換えただけであれば、歴史に意味はなくなる」
「強者による弱者の支配も、リベラルな価値の正当性を掲げた弱者による強者の支配も、どちらも単なる権力作用にすぎない。ひとつの権力が別の権力に置き換わっただけである。自由な民主主義の勝利とは、主人も奴隷もなくなり万民が対等となった社会などではなく、ただ、奴隷の無条件の勝利を意味しているというのがニーチェの言い分であった」
「我々が歴史に見るのは『権力への意思』の様々な発現の姿であり、それに終わりはない。あるのは、延々と続く『権力への意思』の多様な表れなのである。終末などやってこない。同じことが永遠に繰り返されるだけなのである」
国王も貴族も富裕層も平民も権力をめぐって争ってきたのであり、社会的な強者と弱者による権力交代が繰り返されてきたし、今後も繰り返されよう。強者による支配に迎合する弱者があり、弱者による支配を簒奪して強者になる指導者もあるなど、権力を巡る争いは強者・弱者が入り乱れる。「権力への意思」だけは変わらず人々が持ち続け、歴史が動いていく。
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