2026年4月1日水曜日

暴君と近代

 暴君といえば、ネロら多くのローマ皇帝、ロシアのイヴァン4世(雷帝)やピョートル1世、中国の始皇帝や煬帝や則天武后らが有名だ。国家の全権を握る専制君主が独断的に政治に関与し、残虐な恐怖政治を行うと暴君と呼ばれることになる。暴君とは「人民を苦しめる暴虐な君主」だが、「ひとり横暴に振る舞う人」の意でも使われ、家庭や企業・団体などにも暴君がいたりする。

 民主主義など皆無で、国家主権を握る独裁者による政治がフツーだった時代や世界では、それなりの能力が独裁者には必要だっただろう。暴君=暗君では統治が行き詰まったり、反乱や暗殺を招いたり、実務を担当する有能な側近に政治を任せるしかなくなる。暴君にそれなりの能力が備わっていれば、周囲の抵抗勢力を押し切って乱暴に「改革」を断行することもできよう。

 独裁者は歴史上も現代でも多いが、暴君と呼ばれる人物は少なくなった。独裁者は既存の統治システムに君臨するだけだが、絶対的な権力を占有する暴君は、気に入らない人物や敵対する人物らを意のままに殺したり、贅沢な生活を維持するために人々に重税を課してしぼり上げるなど、自己の感情や欲望などのために権力を行使する。国家は自己のためにあると信じて疑わないのが暴君だ。

 近代とは「封建社会から脱皮した資本主義社会・市民社会」とか「キリスト教的価値観が相対化され、絶対王政が打倒されるなど人間中心主義になった時代」などとされる。近代以降に暴君が現れにくくなったのは、国家主権を有するのが人民(人々)とされ、政治権力の正当性は人民に由来するからだ。中国やロシアなどの現代の独裁者も憲法など法の支配を装わなくてはならない。

 現代にも独裁者は世界に多いが、暴君と呼べるのは金正恩氏ぐらいか。父親の代からの側近や親類の高級官僚を処刑するなど、気に入らない人物や邪魔になった人物らを意のままに殺し、それを公開するなど恐怖政治による支配を続けているようだ。北朝鮮は近代国家というより金王朝であり、前・近代にとどまっているのだから、暴君の出現を抑止する仕組みはない。

 プーチン氏や習近平氏も憲法を意のままに改正して長期の独裁を正当化し、批判者に対する暗殺や、腐敗を口実に粛清を続けるなど、過酷な抑圧を行っているのだが、恐怖政治は一部にとどめ、人々の愛国心を煽り、愛国の延長上にプーチン氏や習近平氏の統治があるかのように装う。そう装わなければならないのは、ロシアも中国も近代国家になっているからだ。

 暴君は権力に溺れて、自制が効かなくなった人でもある。暴君は人々の怨嗟の的にもなり、権力を失った時には恐怖政治の責任を問われるなど「安らかな老後」は望み薄だ。法の支配が確立した近代国家では国家権力を議会や司法が分担して担い、行政権力を握った人物の「暴走」は制御される。暴君の出現は困難になり、独裁者のように振る舞う米トランプ大統領も法の支配から逃れることはできない。米国内ではトランプ氏の統治による死者は少ないが、イランでは多数の死傷者が出ている。イランではトランプ氏は暴君と見られているかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿