2026年4月18日土曜日

主権と自由選挙

 民主主義は、国の政治など統治のあり方を決める主権が人々に属することで成立する(主権在民、国民主権)。選挙を行い、議会や裁判制度を整えて民主主義国であるかのように装っている国でも、主権を軍部や特定の政党、あるいは個人が専有しているなら、民主主義国ではない。そうした国では人々は主権者ではなく、支配される対象である。

 人々が主権を行使する代表例は自由選挙だ。全ての人が1人1票を持ち、自分の意思のみで投票先を決めて投票する(外部からの干渉・強制は禁止)。自由選挙では、誰に投票したかは秘密とされ、立候補の事前制限がなく、自分の意思で誰でも立候補でき、複数の候補が議席を争う。開票は公開され、開票の正確性や検証可能性は保たれる。

 主権を有する人々による自由選挙の結果、主権者を代表して政治などに関わる代表者が選ばれるのだが、投票の結果が常に必ず、人々の代表者として相応しい人物が選出されるとは限らない。見識ある候補者が選ばれたり、思慮深い候補者が選ばれたり、人々の生活に通じている公明正大な候補者が選ばれたり、私利私欲に執着しない候補者が選ばれたりするなら、自由選挙は社会を良くする最上の仕組みだろう。

 だが、自由選挙により、人格に問題がある候補者が当選したり、腐敗臭が漂う候補者が当選したり、私利私欲に執着する候補者が当選したり、権力志向だけが強い候補者が当選したり、道徳心が希薄な候補者が当選したりするなど、自由選挙が行われているからといって、選出される人物が常に「最上」であるとは限らない。

 さらに、自由選挙では、民主主義に否定的な候補者が当選したり、民主主義に背を向け独裁的な権力を掌握することを狙う候補者が当選したり、全体主義への移行を主張する候補者が当選したり、民主主義以前の過去の国家主義を賛美する候補者が当選したりもする。そうした候補者が多く当選すると、主権を持つ人々が民主主義の否定を選択したことになる。

 民主主義に背を向ける候補者が多く当選すると、主権を人々から政治家や政党に移行させようとする動きが顕在化し、徐々に主権を失ってゆく人々は支配されるだけの存在となり、民主主義は形骸化する。そうなってからは、民主主義を回復させようと主張する人々の行動は、治安維持を名目に監視され、社会秩序を乱すものとして暴力的に鎮圧されたりもする。

 自由選挙が実施されていることは、民主主義を阻害する候補者が選ばれないことを保証しない。愚かで自分勝手で権力欲が人一倍強く、虚栄心や自己顕示欲を制御できず、批判されると感情的に反応するが、自分の言動の影響には無頓着で、権力を振り回して人々が混乱するのを見て満足するような人物が選ばれたりもする。もちろん、そうした人物が生じさせた社会の混乱は、そうした人物に自由選挙で投票して当選させた人々にも責任がある。それは主権者が民主主義の価値を信じられなくなった結果である。

0 件のコメント:

コメントを投稿