2025年1月11日土曜日

昭和歌謡の人気

 海外での人気を受けて日本国内でもJ-POPやシティ・ポップに対する再認識が行われ、当時の曲や歌手に対する評価が高まった。その流れの中にあるのか定かではないが、J-POPとしてくくられる以前の昭和歌謡に対する再評価も目立ち、テレビ番組で昭和歌謡を取り上げる企画が珍しくなくなった。

 J-POPは、洋楽の影響が大きい1980年代の日本の大衆音楽を指す言葉で、FMの「J-WAVE」が使用したのが最初だという。今ではJ-POPは広く使われ、日本のポップスの代名詞ともなった。デジタル辞書では「日本人が作詞・作曲したポピュラーミュージック。邦楽」と大雑把な解説で、J-POP以前の昭和歌謡も洋楽の影響を受けているので含むことができそうだが、J-POPと昭和歌謡は洗練さなどで感覚的に区別される。

 昭和歌謡とJ-POPとシティ・ポップの区分けは曖昧だ。全てに属するとみなされる曲や歌手もあれば、演歌などは昭和歌謡のみに属するとみなされる。ベンチャーズやビートルズ、ローリング・ストーンズなどの影響を受けて多くのバンドが現れた GS(グループ・サウンズ)は、元祖J-POPともいえそうだが、昭和歌謡に属するとみなされるようだ。

 昭和は1926年から1989年(昭和64年)までと長い。1920年代には「出船の港」「アラビヤの歌」「東京行進曲」「洒落男」「道頓堀行進曲」などが流行り、1930年代には「酋長の娘」「すみれの花咲く頃」「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」「サムライニッポン」「影を慕いて」「サーカスの唄」「東京音頭」「ダイナ」「旅笠道中」「うちの女房にゃ髭がある」「別れのブルース」など多くのヒット曲があるが、それらは懐メロ扱いで、昭和歌謡を扱うテレビ番組で取り上げられることはない。

 1950年代や1960年代のヒット曲や歌手が取り上げられることも少なく、中心となるのは1970年代のヒット曲や歌手と、1980年代のJ-POPやシティ・ポップとはみなされないヒット曲や歌手、それにJ-POPとシティ・ポップだ。テレビで歌番組が多く放映されていたので当時の映像が多く、使いやすいことも、1970年代〜1980年代のヒット曲や歌手が番組構成で中心となる理由だろう。

 昭和歌謡の時代は芸能プロが主導して作詞家や作曲者に曲をつくらせ、歌手にあてがっていた。ヒット曲も人気歌手も芸能プロによって「つくられる」時代だったが、J-POPとシティ・ポップでは自作自演が増えた。作詞家や作曲者が商品としての曲を作っていた時代から、アーチストと歌手らが呼ばれる時代に変わり、曲は自己表現の作品とみなされるようになった。

  J-POP全盛の中で昭和歌謡が見直されているのは、アーチストの作品が増殖し、ダラダラとした作文のような歌詞があったり、自分の心情が特別に価値あるもののように歌い上げる曲が増える一方、芸能プロが関わるグループなどはキレキレのダンスを見せることに比重が傾き、口パクが蔓延して歌唱が軽視されているからだ。カラオケでは昭和歌謡がよく歌われているというから、歌を歌い、歌を聞くことの魅力を昭和歌謡が持っていると見直された。

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