多くのイエス・キリストの肖像画を欧州の画家は描いてきた。実在したイエスの顔を知っている人は誰もいなかったから、各自の想像力を発揮して描いたイエスは白人ばかりになった。実際には、現在の中東のアラブ人のように褐色の肌の人物だった可能性が大きいと見られているそうだが、イエス・キリスト=白人とのイメージは根強く定着している。
肖像画に描かれたイエス・キリストは、成人男性の容貌で描かれるが、共通するのは、長髪で髭を蓄えていることぐらいだ。険しかったり穏やかだったりと目つきは様々で、正面を向いていたり横を向いていたり天を見上げていたりと顔の向きも様々、強い意志を感じさせる表情もあれば苦痛の中で祈っているような表情から平穏な表情まで画家の表現の幅は広い。
こうした幅広さは、イエス・キリストの何を表現しようとしたかで分かれたのだろう。イエス・キリストは人間であり神の子であり救世主であるとされる。実在の人間を描く肖像画を欧州の画家たちは描いてきたので、イエスという人間を想像力で描くことに困難は小さかっただろう。だが、神の子や救世主となると、神聖さをたたえた人物を描かなければならない。
人物を描くことは具体的に描くことであり、見たことがないイエスでも人間であるので画家は具体的に描くことができたが、神聖さを具体的に描くには神の子や救世主であることを示す何かの表現が必要となる。神聖とは抽象的な概念であり、イエスという人間の形態を借りた神の子や救世主の本当の姿もおそらく具体的なものではなく、抽象的なものだろう。
様々な容貌や表情で描かれてきたイエス・キリストの肖像画は、画家の想像力の産物ではあるが、多彩なイエス・キリストの個性を表現した。神の子や救世主は普遍的な存在であるのだから、その表現は普遍性に向かい、抽象的にならざるを得ない。神の子や救世主には個性は必要でなく、イエス・キリストの肖像画に描かれている個性は人間としての個性である。
神の姿は誰も知らないから、イエス・キリストの肖像画は信仰の対象となりうる絵画だった。人々は人間として描かれた救世主を崇めてきたが、イエス・キリストの肖像画に描かれた人物の個性を救世主としての個性だと混同した可能性もある。険しい目つきのキリスト像には人々を裁く神を連想し、穏やかな表情のキリスト像には親しみを感じたのかもしれない。
イエス・キリストの肖像画が欧州で描き続けられてきたことは、キリスト教の信仰を広めつつ強固にすることに役立っただろう。普遍的存在の神は抽象的な存在でもあり、個性はなく、描くことは難しかっただろうが、イエス・キリストの肖像画の様々な個性は信仰に具体性を与えた。
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