「我らは日本という国家に属する日本人である」との意識がいつごろから一般化したのか定かではない。隋や唐など現在の中国の存在は古くから知られていたが、欧米の存在が広く認識されるようになったのは江戸時代からだろう。藩が廃止された明治維新以降に日本という近代国家の形成が始まり、中央集権の国家の形成が進むにつれて、日本人との意識が徐々に形成されたと見るのが妥当か。
日本という国家意識は、世界は広いことと、その世界で欧米諸国とともに存在するという意識とともにある。他国の存在を意識することは国家意識の形成の重要な要素であろう。同時に、他国を意識することは他国と比較することを促し、優劣を意識するようになり、序列の感覚も芽ばえ始めよう。
歴史的に日本が比較する他国は隋や唐、元、明など中国大陸にあったが、それが欧米に変わった。欧米に対して日本は「遅れ」を意識し、近代化(西洋化)を急いだ。そこには欧米に対して日本の劣勢を意識し、国の序列が日本は欧米より下位にあるとの意識があっただろう。
当時はまだ、欧米に対して日本の独自性を主張する状況ではなく、欧米に「追いつく」ことが最優先され、欧米と「対等」になることを目指していた。「対等」になるとは、日本が欧米から「対等」と見られ、そのように遇されることで実現する。20世紀に入ってから日本は国力を高め、軍事力を増大させ、「対等」と欧米から遇されるようになった。
欧米と「対等」になった日本では優劣の意識は変化し、欧米から認められたいという承認欲求が、欧米に優越したいという意識に変化し始め、植民地の獲得で成長した欧州諸国に倣って日本も植民地獲得により経済的に潤うとの皮算用が現実的な目標に転じ、日本は占領して統治する地域を拡大する国策を推進し、歯止めが効かなくなって欧米の権益と衝突し、第二次大戦へと突き進んだ。
日本人が日本という国家意識を持ったのは欧米を意識したからだが、「対等」になりたいとの承認欲求が、やがて欧米に優越したいとの意識に転じ、欧米など他国に対する優越をめぐる争いに発展した。欧米に対する承認欲求が優越願望に発展し、優越をめぐる国際競争が緊張の度合いを高め、第二次大戦に突入した。
敗戦後の日本は経済発展で欧州諸国を凌駕する経済大国になり、承認欲求は満たされた。だが、欧米コンプレックスは敗戦国という現実とともに残っており、欧米が日本をどう見ているかということを過剰に気にする国となった。その反動で過剰に日本を強調したりもする。欧米に認められたいとの意識は敗戦後の日本に色濃く残っており、現在も欧米メディアの日本報道や評価には敏感に反応したりする。
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