現在の世界では権威主義的な強権国家と自由・民主主義国家の対立が激しくなっている。冷戦期に東側陣営とされた共産主義国や社会主義国の多くは冷戦終了後に体制転換を迫られ、経済は資本主義で政治は自由・民主主義になったと見られたが、その政治における自由・民主主義は限定的で、国家管理が目立つ資本主義となった国が珍しくない。
おそらく冷戦期の共産主義国や社会主義国の多くで1党独裁の残滓が権威主義体制を許容させやすくしているのだろう。人々が民主主義を経験した歴史が短い国では権威主義に対する抵抗は弱かったかもしれない(大正デモクラシーなど日本には人々が民主主義を求めた歴史があり、敗戦により日本は自由・民主主義体制の国に変わる以外に国際社会に復帰することが許されなかったから、日本国と人々は自由・民主主義体制を受け入れた)。
自由・民主主義は西欧発の思想であり、独裁する権力による統治が歴史的に長かった国々では、それぞれの歴史観や伝統・文化などの影響を受けて自由・民主主義を「移植」しても、それぞれに変形したものになる。冷戦終了後の世界がどう変わるか当時、さまざまな論が現れた。権威主義的な強権国家がやがて増えるとの見通しがなかったのは、時代の変化を予測することの困難さを示している。
加藤周一氏は、世界が資本主義に覆われると不平等が拡大することと、遠心的運動が世界の分断を進める可能性を示唆していた。「世界史の転換と歴史の読み直し」(網野善彦氏との対談=1994年)から引用する(『加藤周一対話集⑤ー歴史の分岐点に立って』所収)。
「社会主義は一種の社会的平等を目指していたと思う。教育とか生活の必需品とか衛生とか、そういう領域での平等原理の強調だ。資本主義は、競争の規則はみんなが守るんだから、その意味では平等だが、競争の結果の不平等を前提にしている。勝ち負けが予想されないと競争してもしょうがない。自由競争の結果は不平等です。そういう意味では、自由と平等は対立概念だ」
「各方面に、分散する遠心的運動と、求心的運動とが目立っている。ある種の国際的な機関の活動が、少なくとも第二次世界大戦の前に比べれば強くなった。しかし、国が分解し、旧ソ連をはじめとして分散的傾向も強い。それが同時に出ている。遠心と求心という両方の傾向が強く出ている」
「現在の転換期は、対立する二つの傾向が強くなって、どこかで折り合いをつけなければならない、その折り合いのつけ方が従来の折り合いのつけ方だと間に合わなくなってきた。従来はそれほど劇的な対立にならなかったものが、いまや劇的対立になって出てきて、手がつけられず、二つの傾向の調和をとることができない。そういう対立に何らかの新しいソリューション、調和、折り合いを見つけない限り、絶えず混乱か争いとなる」
「思想的に言えば自由対平等、社会的にいえば求心的傾向と遠心的傾向、そういう対立関係を今までとは別の形に変えていかない限り、混乱や争いが深まっていく」
現在は世界で分断や対立が目立つようになってきたが、権威主義国諸国も民主主義諸国も一枚岩にはなれず、入り乱れて勢力争いを続けている構図だ。冷戦期のような対立構造がわかりやすい時代が例外で、渾沌とした各国の勢力争いが続くのがフツーだとすれば、状況が常に流動する現代は特別に珍しい時代ではない。
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