相手に初めて会った時から互いに惹かれ、恋に落ちるというのは恋愛物語によくある設定だ。親しくなるまでの段階を簡略化し、惹かれ合う二人がじゃれ合ったり、些細なことで口論になって共に沈んだ心で過ごしながら相手を思ったり-を繰り返しながらハッピーエンドで終わるという物語はよくある。
相手を愛することは相手を理解することだ。愛する対象として相手を理解するのであるから、好意的な判断が優先する。だから、時には相手を誤解することで相手を愛することもある。愛するという感情は幅広く、特定の人に対する愛のほかに人類愛など不特定の対象に対しても発揮され、また、人以外の対象に対しても喚起される(例えば、趣味の対象や好物など対象は幅広い)。
愛することと憎むことは表裏一体だとも言われるが、憎む時には相手を理解することは放棄される。相手を理解せずに愛することは難しいが、相手を理解せずに憎むことは珍しいことではない。むしろ、憎い相手を理解することを拒否し、相手の嫌なところばかりを見るようになり、嫌なところを記憶して憎むことを正当化したりする。
特定の個人に対する愛や憎しみではなく、不特定の他人に対する愛や憎しみがあり、そうした感情が社会を動かし、国際関係にも影響する。世界の多くの人々が人類愛や寛容を共有するなら世界は平和に少しずつ近づくだろうが、他国や他民族などに対する敵愾心や憎しみを持つ人々が多くなり、不寛容が広がると排外主義が各国に現れ、国際関係の緊張は徐々に高まっていく。
愛することで得るものは、対象の存在に対する肯定感だ。一方、憎むことでは、対象の存在を否定的に見るようになる。否定的な対象に対しては、その排除を許容する感情が生まれやすく、憎まれた相手も憎み返して対抗するだろうから、相互に排除の感情が高まり、対立となって現れ、時には対立が激化する。愛することは対象とともに生きていこうとする機運を高めるが、憎むことで、ともに生きることの価値が低下する。
政治が絡むと主張の違いが激しい対立となって現れる。異論を許容できない人々は、自分の主張に反する主張をする人々に反発し、さらに相手に対する憎しみとなったりする。最近では、米国でのトランプ支持者と反トランプ派の罵り合いや、欧州などでのパレスチナ支持者とイスラエル支持者の罵り合いなどは、政治的な見解の違いにとどまらず、自分と異なる主張をする人間への憎悪に発展しているような様相だ。
憎みあうより愛し合うほうが、この世界は平穏で人々は幸せだろう。排除や対立よりも、共生し、共存することのほうが価値ある生き方だろうが、現在の世界は、愛することよりも憎むことが目立ってきている。愛する人々に対しては軍事力の行使は控えられようが、軍事力は行使され、その正当化に軍事力の対象の人々を憎む理由が並べられる。説得する言葉が無力な時代には、愛することよりも憎み合うことがふさわしいのか。
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