山には存在感がある。標高2千メートルを超すような高山ではなく3百〜4百メートルの低山であっても、人々は見上げるたびに山の存在感を感じるとともに、自宅や日々の生活空間から見える山に親近感を持つ。山が崇拝の対象となるのは日本に限らず、世界各地で山は宗教的な意味を与えられてきた。
日本の最高峰は富士山(3776m)だ。噴火を繰り返す富士山は、縄文時代から畏れられ神聖視されていたそうで、中世には修験者たちの山岳修行の聖地となり、やがて一般巡礼者も富士山に登るようになり、江戸時代には富士山を崇拝する信仰が関東地方で広がり、多くの人が富士講を組んで登山したり、富士五湖などを巡礼するようになった。
大神神社(奈良県桜井市)は三輪山を、筑波山神社は筑波山を、金鑚神社(埼玉県)は御室ヶ嶽を、石鎚神社(愛媛県)は石鎚山を神体とするなど神が宿ると信仰されてきた山が各地にある。また、出羽三山(山形県の月山・羽黒山・湯殿山)や白山、大峰山、日光、立山、御嶽山、英彦山などは山岳信仰の場とされ、現在でも信仰登山が行われているという。
各国にも山岳信仰がある。古代ギリシャではゼウスを始めとした神々が住むオリンポス山が信仰の対象になっていたとされ、中国では五岳(泰山・衡山・嵩山・華山・恒山)が神格化され、チベットではカイラス山が聖なる山とされ、白頭山は朝鮮・韓国人に聖地とされているそうだ。昔は山には悪魔が住むとされていた欧州は1神教のキリスト教を受容したため、山と信仰は切り離された。
神がいてもいなくても山の存在感は大きく、世界の人々は日常生活で毎日見える山に親近感を持つ。山に神が宿ると信じる人が少なくなったであろう現在も人々は山を何か特別な空間・領域と見なす。崇拝の対象にはならなくなっても、地面を高く持ち上げて山を成した自然の力の強大さ・偉大さを毎日見る山に感じ、畏敬の念を投影する。
ちなみに各国の最高峰は、中国はチョモランマ(=エベレスト、8848m)、インドはカンチェンジュンガ(8586m)、米国はマッキンリー(=デナリ、6190m)、カナダはローガン(5959m)、タンザニアはキリマンジャロ(5895m)、イランはダマバント(5671m)、ロシアはエルブルス(5642m)、メキシコはオリサバ(5611m)、ケニアはケニア山(5199m)、トルコはアララト(5137m)、スイスはモンテローザ(4634m)、イタリアはグラン・パラディーゾ(4061m。だがモンブラン=4810m=の山頂の領有権でフランスと争っている)、パプア・ニューギニアはウィルヘルム(4508m)などとなる。
一方、英国はベン・ネヴィス(1344m)、アイルランドはキャラントゥール(1038m)、ガーナはアファジャト(885m)、ウルグアイはカテドラル(514m)、オランダはファールス山(323m)、デンマークはモレホイ(170m)、シンガポールはブキッ・ティマ(164m)など国土に高低差があまりない諸国もある。山は高くても低くても、いつも同じ場所にあり、人々とともにあった。山に親しみを感じ、時には崇拝の念を持つのは自然な感情なのかもしれない。
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