2026年1月31日土曜日

雪の音

 歌舞伎で冬の名場面といえば「仮名手本忠臣蔵」の討ち入りだろう。雪が降る深夜に吉良上野介の屋敷に赤穂義士が突入し、主君の仇討ちとして吉良上野介を討つ。映画などでは、翌朝、槍の穂先に吉良上野介の首を掲げ、降った雪が路上に残る中を泉岳寺まで隊列を組んで行進し、浅野内匠頭の墓前に吉良上野介の首を供え、本懐を遂げたことを報告するまでが描かれたりする。

 討ち入りが暑い真夏の出来事であったなら、義士たちの装束は夏物で、汗だくの姿で義士たちは泉岳寺まで行進することになる。桜の咲いた中での討ち入りも、紅葉の中での討ち入りも血生臭い殺傷沙汰には似つかわしくない舞台設定で、討ち入りは真っ白な雪が降る冬だから情緒を高めたか。義士たちは揃いの火事装束で集団行動を怪しまれないようにしつつ、防寒性も確保した。

 雪中の大事件といえば、大老の井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」だ。歌舞伎では事件前夜、側室と共に静かに過ごす井伊直弼を描いた「井伊大老」があり、初代松本白鸚と中村歌右衛門の共演で観たことがあるが、しみじみとした情感を漂わせていたのが印象的だった。雪中の大事件には二・二六事件もあるが、こちらは歌舞伎にはなっていない。

 ほかに冬の名場面がある歌舞伎演目には、「恋飛脚大和往来」「義経千本桜」「菅原伝授手習鑑」「雪夕暮入谷畦道」「鷺娘」「三人吉三巴白浪」「天衣粉上野初花」「奥州安達原」などがあり、舞い落ちる真っ白な雪が舞台効果を高める。同時に舞台下手から大太鼓の音が聞こえてくる。雪音というそうで、ゆっくりと雪降る空に響いていくようにドーン、ドーンと続く。

 現実には降る雪に音はなく、逆に積もった雪が音を吸収するそうで、雪が降る光景は静かだ(吹雪などの時には風の音が大きい)。だが、雪には音がある。それは、冷えこんな日の朝方などに積もった新雪を踏んだ時に、キュッキュッと鳴る音だ。日中も冷えこみが続くと、地上に降った雪が溶けないためか、グッグッ、ギュッギュッと一足ごとに音が鳴る。降った雪が冷えこみで粉末状になって、擦れ合っているような感じだ。

 真っ白な雪は降り積もると、景色を一変させる。見慣れた都会の風景に雪が加わると非日常感を漂わせ、雪の中に家々が点在する郊外は童話の挿絵を連想させ、葉を落とした森林の木々に雪が張りつくと白と焦茶色の水墨画の様相になる。杉林は冬でも緑だが、風上側の葉や枝には雪があちこちにこびりつき、自然が造形したクリスマスツリーのようになる。

 雪はキリリとした寒さを連想させる。「雪夕暮入谷畦道」で直次郎が蕎麦屋で股火鉢をするのは行儀が悪い行為だが、直次郎の性格と外の寒さを同時に表現した。「恋飛脚大和往来」では死出の旅に出た忠兵衛と遊女梅川に雪が降りしきる。自然状況の厳しさが主人公たちの置かれた状況の厳しさを連想させる。降りしきる雪の中で描かれる人間模様の効果音として雪音を考案した先人の発想は見事だ。

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