2025年11月1日土曜日

感情を刺激する

 地位や階級や年齢などが自分より上の人物の判断・主張・指示に、いつも黙って従っているだけの部下は召使いである。上位にいる人物が常に的確な判断・主張・指示を行うなら、その会社や集団などが誤った方向に進む可能性は低いだろう。だが、人間は神ではないので、見当違いの判断をしたり、偏った主張や誤った指示を行うことがある。

 そんな時に部下が、自分より上の人物の判断・主張・指示の誤りを指摘するには、慎重に言葉を選びながら説得しなければならないだろうし、相手のプライドや機嫌を損ねる可能性があるので勇気がいる。使命感が乏しい部下ならば、自分より上の人物の判断・主張・指示が誤っていたとしても、「仕方がない」と黙って従うだけかもしれない。

 例えば、プーチン氏や習近平氏や金正恩氏に諫言できる部下が存在するのかは不明だ。包容力の大きい人物だとのイメージは3人とも乏しく、利益や思想・信条を共有する側近以外の部下が直言することは簡単ではないだろう(そうした部下が現れたなら、直言が受け入れられれば自分らの立場を脅かされかねないと側近が、真っ先に排除に動くか)。

 判断・主張・指示の明白な誤りなら、言葉を選んで丁寧に説得できる可能性はあるかもしれないが、自分より上の人物の判断・主張・指示に異論を唱えたり、批判することは、相手と対等に議論する構図となり、自分より上の人物の感情を刺激する。感情を刺激された人が、冷静に相手の主張を判断することは簡単ではない。感情を刺激されたプーチン氏や習近平氏や金正恩氏ら独裁者は危険な存在と化す。

 加藤周一氏によると、「戦場では武士団が武士団に対抗する。その武士団内部に緊張が生じるのは、主従の意見が異なる時である。意見の相違は、戦略についても(家康と本田忠勝)、主家の内紛についても(家康と榊原康政)、政治的判断についても(秀吉と浅野長政、家光と柳生宗矩)現れるだろう。

 その典型的な解決法は『従』の側からの『主』の説得の試みであり、これを『諌』という。『諌』する側には、思慮の深さと同時に勇気がなければならない。誤りを指摘された『主』は従者を死をもって罰するかもしれないからである。

 かくして『諌』の場面は、『主従』の状況判断、価値観、決定の内容における対立であるばかりでなく、しばしば命がけでの全人格的な対決を意味する」(「新井白石の世界」、1978年=『加藤周一セレクション②』平凡社ライブラリー所収。適時省略あり)。

 集団指導体制ならば議論ができるので、諫言は必要ない。会社や集団などで権力を掌握した個人が君臨するから、時には諫言する人が出てくる。諫言が現れるのは、その会社や集団の組織が硬直していることの反映だ。一方で、権力を持ちたいと励むのは人間の自然な感情だろうから、各自が出世を争うことが会社や集団などに活力を与える。権力を掌握した個人に対する批判が許される組織体制を構築することは、簡単ではない。

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